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曹伯 参戦条件 最初から 能力 役職 兵科 信念 武力 妖力 勇名 経験 将軍 騎兵 慈悲任侠 53 54 10 33 習得可能陣形 円 月 鶴 鱗 雁 蛇 牛 矢 平 錐 方 箕 鉤 習得可能特技 ―― 鼓舞 鉄壁 ―― ―― 参戦可能ステージ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 徐州 汝南 博望 長坂 赤壁 潼関 定軍 樊城 涼州 天水 成都 武昌 蜀魏 長城 考察 曹操の伯父。ほとんど全ての戦いで曹操隊の小隊長を務める。 劉備と曹操が兄弟だという事実を知る唯一の人物であるが、これは重大なネタバレなのでここでも伏せておくことにする。 やたら兵器の開発許可を求めてくるが、許可なんぞいらねェから!作ってから持ってきちゃっていいから!と思う人がほとんどであろう。 曹伯の部隊も騎兵であり、曹操隊の機動力を損なうことなく、鼓舞・鉄壁で地味ながら確実に強化してくれている良伯父さん。 経験が高めだが伸びしろはほとんどなく、そういう点からいっても曹操隊の育成は後回しで良いだろう。
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曹洪 参戦条件 ステージ2・汝南の戦いクリア後 能力 役職 兵科 信念 武力 妖力 勇名 経験 将軍 弩兵 信義忠孝 72 39 17 21 習得可能陣形 円 月 鶴 鱗 雁 蛇 牛 矢 平 錐 方 箕 鉤 習得可能特技 鼓舞 狙撃 ―― 鉄壁 ―― 参戦可能ステージ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 徐州 汝南 博望 長坂 赤壁 潼関 定軍 樊城 涼州 天水 成都 武昌 蜀魏 長城 考察 曹一族の武将であり、早期に参戦する弩兵。前半は曹仁隊の、後半は曹操隊の小隊長としての出陣が多い。 能力的に特筆すべきところはなく、戦闘開始直後に鼓舞→折を見て狙撃、これしかやることはない。彼の小隊は戦線に投入しないこと。 特技は三つしかなく、最後に覚えるのが鉄壁ということで、育成しても報われない武将。
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参戦条件 ステージ6・潼関の戦いの戦闘前にイベントで参戦 能力 役職 兵科 信念 武力 妖力 勇名 経験 軍師 弩兵 征服覇道 43 94 32 55 習得可能陣形 円 月 鶴 鱗 雁 蛇 牛 矢 平 錐 方 箕 鉤 習得可能特技 飛礫 雹弾 氷嵐 落雷 烈風 参戦可能ステージ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 徐州 汝南 博望 長坂 赤壁 潼関 定軍 樊城 涼州 天水 成都 武昌 蜀魏 長城 考察 曹操軍最高の妖力を誇る、言わずと知れた孔明の好敵手。二人は本編での絡みはほぼ無いが、戦闘開始時に台詞が用意されている。 赤壁大戦が終わってからなので加入は中盤ということになる。 曹操軍最高の妖力、というのは初期値の話であり、実際に加入する頃にはヒミコや荀郁の妖力が司馬偉を上回っている、なんてことはザラである。 習得する妖術の質は孔明に二歩くらい及ばず、兵科が弩兵なのも困りものである。ただ、同じ弩兵の鳳統と比べると司馬偉隊には有力な小隊長が存在している場合が多く、 それほどシビアな戦いを強いられることはない。最初から鶴の陣を習得しているので、場合によっては遠距離攻撃に徹するのも大いにアリである。
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李典 参戦条件 ステージ1・徐州の戦いクリア後 能力 役職 兵科 信念 武力 妖力 勇名 経験 将軍 弓兵 現実主義 57 22 8 17 習得可能陣形 円 月 鶴 鱗 雁 蛇 牛 矢 平 錐 方 箕 鉤 習得可能特技 ―― 鼓舞 鉄壁 一斉 ―― 参戦可能ステージ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 徐州 汝南 博望 長坂 赤壁 潼関 定軍 樊城 涼州 天水 成都 武昌 蜀魏 長城 考察 ステージ2から楽進とともに参戦する弓兵。曹操軍中でも群を抜いてダメな奴である。 能力は低いし、無駄に特技を覚えるのが遅い。特に弓兵なのに一斉発射を覚えるのが最後とか何の嫌がらせなのだろうか。 李典と楽進は二人とも微妙キャラだがセットで出陣することが多く、二人合わせて鼓舞と罵声に鉄壁2枚が使えるので部隊の安定性を確実に上げてくれる。
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郭嘉 参戦条件 ステージ1・徐州の戦いの政略で、荀郁の案を実行する 能力 役職 兵科 信念 武力 妖力 勇名 経験 軍師 歩兵 能力発揮 48 85 10 15 習得可能陣形 円 月 鶴 鱗 雁 蛇 牛 矢 平 錐 方 箕 鉤 習得可能特技 雹弾 飛礫 落雷 氷嵐 鉄壁 参戦可能ステージ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 徐州 汝南 博望 長坂 赤壁 潼関 定軍 樊城 涼州 天水 成都 武昌 蜀魏 長城 考察 ステージ1の政略によって仲間になる軍師。以降ほとんどのステージで小隊長を務める。 郭嘉といえば曹操軍きっての策士とのイメージが強いが、このゲームでは荀郁、程育、司馬偉といった軍師達に立場を喰われている。不公平である。 妖力は程育に若干劣る85。参戦回数が多いので、まめに妖力を上げていけば天水辺りで妖力95は達成できる。序盤の訓練は彼の妖力上げに使うと良い。 妖術のラインナップは強力とは言えないが、妖術Lv3になれば十分過ぎる火力が得られるだろう。 小隊長としての参戦のみなので、本人の武力の低さが余りマイナスにならないのも良い。
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昔存在したオリジナ。記事だけ作られて放置されている -- 名無しさん (2024-01-26 09 07 01) 名前 コメント
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【用語名】 魚津城の戦い 【読み方】 うおづじょうのたたかい 【詳細】 4の下で行われた戦いで、史実では柴田勝家と上杉景勝の軍が戦った。 勝敗としてみれば織田軍の勝ちであり、上杉軍は自害しまくった者が多い。 史実での戦いの経緯はここ参照。 これだけを見れば織田軍の勝ちではないかと言うことになるが、この直後に本能寺の変が起きる。 つまり織田信長が明智光秀に暗殺されるのである。 P.A.OdaにしろM.H.R.R.にしろ信長関係の歴史再現は、暗殺を回避するため理由をつけてだらだらやっていたりするのだが、 史実では信長が死ぬと柴田vs.羽柴の戦い(賤ヶ岳の戦い)が起きて柴田が死んだり、 そこから進めていくと、五大頂も解っているメンバーのうち利家と羽柴を除き、謀反などで死んでしまうため、デメリットしかない。 しかし、歴史再現を行い続けなければ羽柴の天下が来ないため、ある種のジレンマとも言える。 当初、P.A.Oda・M.H.R.R.サイドでは手取川の戦いだけにしておいて、魚津城の戦いをしないでおこうとしたのだが、 手取川の戦いの重要ポイントになる七尾城をノヴゴロドが襲名していて、ここには黎明の時代の遺産があり、 武蔵サイドに見られると非常に不味いため破壊しておいて欲しいと、柴田が十本槍に頼んでいた。 だが、手取川の戦いだと七尾城となっているノヴゴロドでは破壊活動が出来ない(史実では、織田・羽柴サイドは七尾城に入らずに戦いを終えている)。 そのため、万全の体制で信長暗殺の歴史再現に望むべく利家が魚津城の戦いへシフトするべきだと提案した。 今までの生活を手放したくない不破・光治は反対するが、羽柴がこれを認定。 地摺朱雀に投げ飛ばされていた森・長可が戻ってくるのに合わせこの歴史再現を可能とした。
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Mission1103【沖縄決戦2:市街地防衛部隊撃破戦】 海上都市の市街地を舞台に繰り広げられる戦闘をイメージしたミッション 舞台としてはサード・エマ編の海上都市上層部辺りでしょうか。 敵コンセプトはもちろん『地獄の壁』 これが出したいがためにわざわざパイロット型トライアルシリーズなんていうものを出したんです。 つまり、正確には装備は地獄の壁と同等のものを持っていますが、 パイロットは地獄の壁の過去データと人間とアンデッドの細胞から作られた 限りなく地獄の壁と同じ技能を持ったトライアルです まぁ、物真似部隊だと割り切ってしまったほうがわかりやすいかもしれませんが また、このミッションでは通常二桁ぞろ目の強化版としてイメージされる三桁以上ぞろ目に対し 特別な被弾内容を用意すること実施。 これはイメージを沸きやすくさせることを目的としています。 敵部隊の特徴的な一撃を手軽に出せるのもいいですしね。 非常にどうでもいいことですが、スレの状況説明の台詞『死に損ないを墓所へ送り返すぞ』の 『死に損ない』はアンデッドと読んでもらえるとうれしいです。 死な(デッド)ない(アン)からアンデッドなのではない (まだ)、くたばって(デッド)ない(アン)からアンデッド=死に損ない 地獄の壁 第64機動戦隊、すごく物々しく出てきたこの部隊は、初代においては1ミッションで撃破 (1stのU.S.N.側においてある程度の復権を果たしますが) というすごいんだかすごくないんだかわからないですが、印象深い特殊部隊ですね 以降さまざまな特殊部隊が出てきますが セカンド:ダークギース サード:快速反応部隊、呉龍、パープルへイズ フォース:ブラウネーブル フィフス:ストライクワイバーンズ、バーゲスト この部隊以上にインパクトのあるものはないと思います やはり色の統一と、広く軍内に知られていること、特注機であること といった要因があるのでしょうか? フロスト 地獄の壁といえばフロスト フロストはそれまで機動力ばかりに着目されてきたヴァンツァーに対し 装甲という概念を付加したことで知られる名機です。 さらに、パンチ(打撃)がヒットすると上腕部機構で捻りが加えられるという 独特の内部打撃機構が存在することも有名な話です。 しかし、フロスト以降のヴァンツァーの発展によって装甲が進化した最先端のヴァンツァーには 汎用性のあるハンドマニュピレーターだけでは有効打が望めなくなり こうした内部打撃機構が次第に姿を消していったのは皮肉な気がします。 もっとも、後世においても汎用性を排除したパンチ専用の内部打撃機構を有したアームが存在し、 有効となりえることはフィフスにおいて表現されていると考えています。(グラップル、ダスラークロウ) フロストはこうした装甲重視の機体設計、内部打撃機構による接近戦での 格闘攻撃といった画期的な構造から 後の格闘により敵を撃破するというストライカーというジョブ・戦術の発生 そしてその戦術に特化した機体の開発にまで寄与したと考えています。 つまり、すべてのストライカーの原点であり、機能細分化の魁ではないかとも思います。 こうして考えると機体一つにも思い入れが沸いてこないでしょうか?
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評定 荀郁→敵兵を説得する(劉備軍の兵士数-10%) 程育→食糧の献上を受ける(食糧+10、士気+5) 司馬懿→親衛隊を結成する(曹操に虎豹騎を配備) →兵を募集 (兵力が8上昇 各部隊の兵が800人増加) 軍議 荀郁→決戦の布陣 部隊 味方部隊 西から順番。 部隊長 小隊長 小隊長 小隊長 備考 虎稚 - - - 司馬懿 (徐晃) 夏侯惇 - 夏侯覇 (鄧艾) - - 郭昭 張興 曹洪 - 曹操 曹伯 荀郁 - 曹仁 (郭嘉) (蔡文姫) - 張遼 楽進 李典 - 奉徳 程育 (典韋) - 于禁 東旋風 西旋風 - 味方増援 部隊長 小隊長 小隊長 小隊長 備考 ヒミコ - - - 曹操隊が目標地点に到達で出現 敵部隊 西から順番。 部隊長 小隊長 小隊長 備考 美三娘 孫麗 - 徐庶 魏延 - 孔明 - - 疾風連弩を配備(上級限定) 張飛 理理 瑠瑠 趙雲 馬謖 - 関羽 関平 周倉 劉備 鳳統 - 馬超 馬岱 - 姜維 法正 - 黄忠 厳顔 - 敵増援 部隊長 小隊長 小隊長 備考 - - - イベント 開始時にヒミコ暴走イベント。曹操隊が西の谷へ向かう。目標地点に到着するとヒミコが出現。 目標地点に到着するまで一定時間ごとに竜巻ムービー。影響は不明(おそらく魏軍にダメージ)。 張飛発見時、夏侯覇が攻撃を進言。許可すると夏侯覇の士気上昇。 上級では孔明が疾風連弩を持っている。視界に入ると撃たれるので覚悟を。 攻略 何もない平原で何の策もなく正面衝突とかやりたくないがそれしか提案してくれない。荀郁仕事しろ。 兵糧庫の前に横列を作って迎撃する。敵軍が近付いてきたら少しずつ前進して扇形に包囲すると渋滞発生。うまくいけばほぼ2対1で戦闘可能。 劉備軍の兵糧庫は南の森の中にある。主戦場から離れるヒミコと曹操のお仕事。劉備が待っていたら森の外まで誘導して先に破壊しよう。 コメント 名前 コメント
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筒井城の戦い 筒井城の戦い(つついじょうのたたかい)は永禄7年に織田家と姉小路家の間で行われた戦いである。 戦いの規模自体は小さかったが後の日本全体の情勢に大きな影響を与えた。 参加兵力及び戦力評価 姉小路・観音寺城兵 攻城部隊:足軽隊10000:竹中重治、富田景政、ルーミア 火力部隊:鉄砲隊9500 :浅井長政、霧雨魔理沙、蜂須賀正勝 野戦部隊:騎馬隊9500 :朝倉宗滴、アリス・マーガトロイド、紅美鈴 織田・筒井城兵総勢18168+傷兵(交戦開始時3582) 守将:織田信長 (12月10日時点で、羽柴秀吉10500、毛利新助5000が鈴木家迎撃、両隊帰還時5252) 織田家は良将が多くいるものの、武田・北条・鈴木・姉小路から一斉攻撃を受けており(この戦いの時点で尾張・伊勢志摩失陥)本来の実力が発揮できる状況ではない。 概要 この戦いの前に尾張を武田5万、伊勢を北条3万の兵で同時に攻められた織田家は敗走し、残った2万の敗残兵と将が筒井城に逃げ込んだ。 さらにタイミングで雑賀衆が筒井城を襲撃し、織田家は辛うじて撃退したものの多くの負傷兵を抱えさらに物資兵糧は尽きかけていた。 この状況に乗じた姉小路家の竹中重治、浅井長政、朝倉宗滴が率いる2万9000の兵が筒井城を急襲、 対して織田信長は良く将兵を統率し、矢弾が尽きてもつぶてを投げつけるなど激しく抵抗した。 しかしながら、結局は兵糧が尽きて抵抗することができなくなり、開城することとなった。 この戦いは雑賀衆が和泉岸和田城と大和筒井城の連絡を遮断することにより兵糧攻めの形となった。 城そのものに大きな損害を与えず、こちらの損害も小さくて済み、多くの投降兵を手にすることが出来る兵糧攻めの有効性が再確認された戦いでもある。 姉小路側の戦略 この戦いにあたって竹中重治は急場にもかかわらず幾重にも策をめぐらしている。 例えば、雑賀衆に岸和田城と筒井城の連絡を絶たせて物資の運搬を阻害していること、 完全に城を包囲せず、筒井城に各地からの敗残兵がよりいっそう集まるように仕向け、兵糧をより一層枯渇させ尚且つ多くの将兵を投降させようとしていることである。 結局はこの策があたって織田家はさらに多くの将兵を失い、再起不能な状況にまで追い込まれたこととなる。 また、城を無傷に近い形で落すことにより武田北条連合軍の西進を防ぐことを狙ったとも言われている。 兵糧攻めでなく力攻めで城を大きく傷つけしまったら、姉小路軍が筒井城を落城させた直後に北条氏康が攻めてきて、城を盾に戦えず、支えきれずに城を失うことを恐れがあったためだといわれている。 織田軍の団結に関する逸話 織田側の記録によれば、織田勢は既に尾張、伊勢で大敗しており、姉小路勢と戦った兵士の多くは辛うじて武器を持てるだけで弓すらも満足に引けないような怪我を負っている者も多かったらしい。 さらに一度に多くの兵がなだれ込んできたため、筒井城に常備していた兵糧物資もすぐに底を尽き、和泉からの物資の搬入も出来ない状況であった。 このような状況下でも配下の部将達は勇敢に立ち向かった。自身の愛馬を割いて兵の糧とした将も多かったという。 また兵士も少しでも戦える兵士は勇敢に戦い、戦えない者達も城内の草の根を掘り木の皮を剥いで戦える者たちに食料を供給したという。 しかしながら最終的には戦える者がいなくなり、開城せざるをえない状況に追い込まれた。この時に入城した者の報告によると、すでに衰弱して足腰が立つ兵は稀であり諸将も辛うじて槍を杖にして立っているような状況であったという。 しかし、軍全体がこれほど衰弱していたのにも関わらず、戦意は旺盛であった。戦後処理で捕虜になった武将達は仕官の勧誘を受けたが一切応じず、岸和田城が落城して織田家が滅亡したときに初めて登用に応じた。 ちなみに筒井城が開城する寸前に織田信長は僅かな護衛と将を引き連れて城を脱出したが、雑賀衆の関を突破する際にも護衛兵が犠牲となり、結局は岸和田城にたどり着けたのは僅か数人であった。 もちろん、全ての織田軍兵士が勇敢に戦ったわけではなく脱走兵も少なくなかった。筒井城の戦いが終わった後、ほとんどの兵士は姉小路軍に降伏し編入された。 しかし他の軍より遥かに強い忠誠心を持っており、固く団結していたことは確かであろう。なぜこれほどの忠誠心を得ていたかは分かっていないが、本人の資質によるところが大きいと思われる。 この戦いの影響 この戦いに敗れた織田家は多くの領土と兵を失い大半の武将が捕虜になってしまったため大いに弱体化された。 織田家は岸和田城に篭って抵抗を続けるも、結局は姉小路家によって滅亡させられることとなる。 対して、姉小路家は主だった織田家家臣の大部分を捕虜にし、多くの兵を手に入れた。 また、大和一国を確保することに成功した。 しかし、なによりも大きかったのは筒井城をほぼ無傷で手に入れたことにより、武田北条連合軍の西進を食い止めたことであろう。 北条氏康はこの戦い以前に霧山御所を落し、伊勢国も制圧しつつあった。制圧後は西進して筒井城を確保する予定であったが、姉小路軍がほぼ無傷で筒井城を落してしまったため、断念せざるを得なくなった。 もし北条家が筒井城を落していれば、武田軍が北条家に道を借りて京に上洛していたことは十分に考えられる。 また、北条家の近畿における勢力もより安定しただろうことを考えると、この筒井城の戦いは規模こそ小さかったものの、天下の趨勢に大きな影響を与えたことになる。